物持ちがよすぎる
今日は歯医者に行ってきた。いい年して磨き残しを指摘されてしまった。
フッ素の泡で満たされたマウスピースをくわえてぼんやり待っていると、なんだか自分がおしゃぶりを吸う赤子のように思えてきた。私は歯磨きさえ満足にできないのか。歯医者(に限った話ではないが)らしいあの優しい話し方も、まるで大人が子供をあやすときのそれのようではないか。涎掛けまでつけている。これでは大きな子供だ。
苦労を知らないと年の割に幼く見えてしまうというのは本当だろうか。キーボードを打ちながらふと下を見ると、情けない両手がそこにある。鏡を見れば頼りない顔が映る。これは確かに幼く見えるかもしれない。ただし両の腕は例外で、枯れ枝のように細い。
年相応に生きたい。いつもそう思っているが、思うばかりで毎日が過ぎていく。肉体が年をとるのは止められないが、精神だけは幼いままであれてしまう。苦労を知るにはどうしたらよいだろうか。何もせずにいることが得意な私には、それが分からない。いかに低い段差であっても、上らないことを涼しい顔で選択できる。
人が階段を自力で上り下りできるのは二歳あたりからだという。私の精神は生まれたてということか。私の中にある幼性*1を捨てる機会を永久に失ってしまわないように気を付けなくては。いつまでも持っていてよいものではなさそうだから。