日記など

人はこれを日記と呼ばない

消極的、あまりに消極的

今のところ後ろ向きなことばかり書いている。ずっとそういう人間なので仕方ないのだが、たまには何か前向きなことを書くべきだと感じる。

後眼(うしろめ)という妖怪がいる。いる、というのは適当でない表現だろうか。「実際にいるかどうかはともかく、(一部の文化圏では)いることになっている」ぐらいにしておこう。なんとこの妖怪、人間のような姿をしているが、後頭部に一つの目を持つらしい。それと鋭い爪を具えた指が一本。後ろ暗さの擬人(?)化だろうか。

私は未来のことを考えるのが好きではない。隙あらば過去に思いを馳せている。別にやり直したい選択があるとか、し損ねたことがあるとか、そういうわけではないが。私は過去が好きだ。既に終わったことだからだ。よくなることがない代わりに、悪くなることもない。しかし未来はそうではない。

私には向上心がない。惰性で生きている。人間は坂を上ることも下ることもできるが、ボールは勝手に下へ転がっていってしまう。私はボールのようだと言いたいところだが、人間の形をしていて、人語を解する私は人間のごとくありたい。だから何か人型のものに喩えよう。後眼はどうだろう。過去ばかり見ている私の目は、後ろについている。

Nur ein Idiot glaubt, aus eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vornherein eigene Fehler zu vermeiden.

「学びは自身の経験から得るものだと愚者のみが信じている。私は最初から失敗するのを避けるために、他者の経験から学ぶほうを好む。」*1とは、かのビスマルクの言である(ということにされている*2)。愚者でさえ己の過去に学ぶというのに、振り返るだけの私は後眼の中でも飛びぬけて落ちこぼれだ。

ただし私は後眼と異なり、爪をちゃんと切っている。妖怪である彼らと人間である私の間の壁は、その程度の厚みしかない。

*1:筆者訳

*2:1872年に出版されたLe Dernier des Napoléonという本の中で、"Die Thoren behaupten, daß man nur immer auf seine eigenen Unkosten lernt .... ich habe immer gesucht auf Kosten anderer zu lernen"「愚者は、人は自身の犠牲からのみ学ぶと主張する(中略)私は常に他者の犠牲から学ぼうとしてきた」という言葉がビスマルクのものとして紹介された。それが翻訳・逆翻訳を経て今の形になったとされる。引用はこちらのサイトで紹介されている2010年版の文に依った。