日記など

人はこれを日記と呼ばない

呪いをかけた話

私は趣味も特技も持ち合わせていない。ただ、好きで調べている・いたものがいくつかある。その一つが人名にまつわるあれこれである。

Behind the NameNordic Namesさらに怪しい人名辞典、そしてもちろんWiktionaryには随分お世話になった。好きで調べている割に紙の人名辞典には未だ手を出していないのだが、ゲームなどのキャラクターに名前を付けるときに役立てるぐらいだからこれでよい(と思うことにしている)。

去年か一昨年か忘れてしまったが、ドラゴンクエストVを久しぶりに遊んだ。主人公の子供に名前を付けるとき、先述の知識が大いに役立った。男女の双子はそれぞれセオドア、ドロシーと名付けた。

彼らにはお互いに支えあってほしかったので、対になる名前を付けようと思っていた。そこで一方の名前を決めてから、その構成要素を入れ替えたものをもう一方の名前とすることに決めた。Dorothyとは、古代ギリシア語で「贈り物」を意味するδῶρον(dôron)と「神」を意味するθεός(theós)から成るギリシア名Δωρόθεος(Dōrótheos)に由来する名前である。これら構成要素を入れ替えたのがギリシア名Θεόδωρος(Theódōros)であり、そこからTheodoreが導かれる。どちらも「神の贈り物」ぐらいの意味だろう。

この名前を選んだのには理由がある。ストーリーはほとんど忘れていたが、石化させられた主人公夫婦が我が子らに救出されるということだけは頭の片隅にあった。私は、彼ら双子は主人公にとって神(脚本)からの救いの手に他ならないと考えた。それが理由だ。

だが、私が彼らに名前を付けたのは石化される前のことである。ということは、私は名付けという行為によって、我が子に親を救う使命を背負わせたことになる。子が親のために生きるかどうかなど、子が決めるべきことだ。それを生涯を共にする名前に託した私の行為は、醜いものである。

名付けとは、親が子に与える最初の祝福だと思う。しかし同時に、祝福とは体のいい呪いにも見える。