日記など

人はこれを日記と呼ばない

不毛

フィクションを書ける人を尊敬している。

ありもしない話を破綻させずに膨らませるなんて、私にはできない。第一、発想それ自体が私には難しい。空を飛ぶ猿*1なんて、どうしたら思いつけるのだろう。

本を読んだことがないわけではない。それどころか、映画もドラマも観たことがある。しかし「この表現はいいな」だの、「こういう設定は格好いいな」だの、そういうことは大して考えずに読んできたので、糧とすることができなかったのだ。それがこの年になってようやくまずいことのように思われてきた。ある話について、それが「好き」か「嫌い」かすらぼんやりとしていた。「この本はこういう話なのか、ふうん」で過ごしてきた私は、薄っぺらい人間になってしまった。

尊敬するだけでは何にもならない。私という土は瘦せたままだ。こんなところにいくら種を蒔いたとて、何か生えてくるはずもなく。別に物書きになりたいわけではないが、発想が豊かであるに越したことはない。

家にある本を読み返そう。肥沃とまではいかなくとも、少なくとも今よりましになるだろうから。